"style3" って何? そんな疑問に答えます。
POSSE が考える社会のあり方 "style3"!!
「あらゆる政策を否定してどうするの?」「結局何を求めているの?」そんな声にお答えします。 3年で辞めることを推奨しているのですか?
いいえ、していません。
3年で辞めてもいいし、辞めなくてもいいと思います。私たちが問題にしているのは、3年で会社を辞めて正社員でなくなった途端に、
生活が不安定に陥ってしまう社会のあり方そのものです。
会社への忠誠心が、安定した生活を送るための必須条件になっているのがいまの現状です。それは、「会社を辞めてはいけない」という社会的圧力となって、 私たちに過酷な二者択一を迫ります。過労死やサービス残業をいとわない正社員か、低賃金かつ不安定な非正社員か―。 「会社への忠誠心がない人間」というレッテル貼りを恐れ、会社を辞められないために多発する過労死。逆に会社を辞めたり、非正規雇用であるために、 「忠誠心」がないとして正当化される非正規雇用の賃金の低さ。 こうした状況を根本的に批判するために、「辞めてもいい」社会を、と提唱しているのです。誤解されているかもしれませんが、「3年で辞めろ」と言っているのではありません。 会社に忠誠を誓うことでしか安定した生活が保障されない社会を、賃金体系や、社会保障制度まで包括的に考慮して、より公平で開放的な社会へと転換していこうと提案しているのです。 最近問題になっている貧困についてはどのように考えていますか?
いまの貧困の問題は、何十年も前からずっとありました。
日本の貧困問題は特殊な貧困です。実は今騒がれている「ネットカフェ難民」と同じ貧困者は、何十年も前からずっといました。
「ネットカフェ難民」は、日本の非正規雇用の低賃金から生じている問題です。日本ではこれまで「男性正社員」とそれ以外で著しく賃金が差別されてきました。 女性正社員や、非正社員は、独立して家計を担う主体とは見なされず、彼らの賃金は、いわば正社員の給料に対して付随した「小遣い」と考えられてきたのです。 具体的には学生のアルバイトや、主婦パートの賃金です。こうした人たちの賃金で生活費を賄うことはできません。 ところが、こうした「小遣い」で生活を維持しなければならない人たちもいました。それは「シングル・マザー」や非正規雇用の男性です。 これらの人々は、昔から日本の「貧困」を体現してきたのです。 実は「ネットカフェ難民」問題もこれらの人たちと同じ構造の下に生じている問題です。普通に働いても「小遣い」程度の賃金しかもらえない。 しかも、何年働き続けてもスキルを身につけることができない。海外に比べ、正規雇用、非正規雇用の間にはもともと日本独自の極端に差別的な格差が存在していたのです。 そして最近、この非正規雇用の枠組みが、これまで独立して生計を担ってきたはずの成人男性にまで及んできたために、問題化しているわけです。 これが、日本の貧困問題が海外と比較にならないほど急速に拡大している原因です。 いいえ、非常に差別的で問題のある制度です。
年功制システムは、理想的なシステムではありません。それは二つの側面から述べることができます。
@差別的賃金決定システムである 年功制システムは、どのようなシゴトをしているかにかかわらず、会社への勤続年数で基本給が決定されるシステムです。その上に、考課・査定により賃金の上乗せ部分が決まります。 これは、ヨーロッパ型の賃金決定システムがシゴトの客観的な内容で評価されるのに対し、年齢や性別などシゴトに直接関係のない要素によって賃金が決定される評価システムです。 そのため、以下のような差別が存在してきました。 まず、この賃金システムは、若年層や年功システムの外にいる非正規雇用の人たちを低賃金に押しとどめ、その余剰を長年働いた労働者に分配します。 この仕組みの中で特に差別されてきたのが、女性でした。女性は結婚・出産時に退職することを「当然」とされ、一端キャリアを断たれると年功の枠組みからは外されるか、 極めて低い位置に置かれることになります。そうして女性の低賃金の部分が男性正社員に上乗せされる仕組みになっていたのです。 もう一つ、差別されてきたのは中小企業労働者です。日本の中小企業は、系列企業の下請け支配下に置かれ、極めて低い賃金に止められてきました。 同系列の大企業と中小企業で、勤続が同じでシゴト内容が同じであったとしても、中小企業の利益は大企業に吸い取られるので賃金が低いのです。 そうして上がった利益が大企業の男性に分配される仕組みになってきました。 さらに、年功制は一般に考えられているものとは違い、極めて「能力主義」的で競争的な制度です。前述したように、年功制は年齢と共に増加していく基本給部分と 考課・査定によって差が付く部分とに分かれます。後者については、年齢だけでなく会社への貢献度が問われます。「来月から転勤してくれ」といわれたら、従うような従順さが求められます。 これを拒むと査定部分の賃金が差別的に取り扱われます。ここでも特に女性が差別されてきました。女性はこれまで「潜在的に会社に貢献する能力を持たない」とされてきたのです。 結婚・妊娠と社会的に割り当てられた「家事責任」があると一方的に「見なされる」ことによって、低く評価されてきたのです。 つまり、年功制は二重に差別的な制度です。一つには、年齢や性別、企業規模によって差別されるシステムであること。 第二に、考課・査定という極めて恣意的・差別的な方法によって賃金が決定されるのです。 A人間を会社に隷属させるシステムである 年功制のもう一つの側面は、人間を会社に隷属させるシステムであるということです。新入社員の賃金は20万円を下回ることが多く、手取りでは生活保護水準を下回ることすらあります。 その分が年功者に分配されているのですが、彼らがその恩恵に預かるためには、その会社でずっと働き続けるしかありません。 また、恣意的な考課・査定制度によって「生活態度」で賃金が決定されるために、ますます働く人を会社隷属的存在にしていきます。 こうして世界的にも特異な「過労死」やサービス残業を日本は生み出してきたのです。「カロウシ」という言葉は海外でも使われ、日本発の世界語であることは有名な話です。 このように、年功制はそれが適用されない数多くの低賃金労働者の犠牲を前提としてなりたってきたという事実があり、その仕組みが現在の格差問題の根源にあります。 さらに、今問題になっているワークライフバランスや、男女平等の立場に立つのであれば、会社への隷属を強いる仕組みからの転換は必須です。 欧米では男女の均等待遇を実現するために、「同一価値労働同一賃金」を目指す戦略がとられてきました。これは、科学的な職務評価によって「シゴト」の序列を厳密に評価するものです。 もちろんこれは、労働者間の賃金格差をなくすものではありませんが、恣意的で人間を隷属させる年功制よりは、よほどフェアで開放的なシステムであるといえるでしょう。 終身雇用は安定していているわけだから、理想的なシステムなのではないでしょうか?
いいえ、非常に特権的な制度です。
終身雇用とは、「特定」の企業にほぼ定年まで働くこと人っていることを「暗黙」のルールにしていることをいいます。
終身雇用は年功序列と同様、差別を前提として成り立ってきました。日本の労働市場は二重構造といわれる構造を持っています。 一部の終身雇用労働者と、「景気の調節弁」とされる非正規雇用労働者に二分化されているのです。 本来であれば、失業と生活不安のリスクから、非正規雇用労働者の賃金は終身雇用労働者よりも高くてよいところ (経済学にはそうした理論もありますし、一部の高賃金労働市場ではそうした現象も生じています)ですが、日本では差別的な賃金制度のために(年功制の項を参照)、 非正規雇用労働者は景気循環のリスクを全て背負っています。 全ての人が終身雇用になることは、原理的に不可能なのです。これまでの日本のシステムがよかったと思うのは全くの幻想です。 これまでのシステムは多大な犠牲の上になりたってきた、一部の特権的な人々のためのものだったのです。 自己責任論を肯定しているのですか?
いいえ、していません。むしろこれまでの制度が「自己責任」的でした。
あまり意識されないことですが、これまでの年功制は徹底的に「自己責任」を完徹したシステムです。まず、受験競争に打ち勝ち大企業に入った男性しかその恩恵にはあずかれません。
どれだけのパイの配分を受けられるかは、どれだけの規模の企業に入ったか、に規定されるからです。このため、日本では海外では見られないほどの受験競争が起こりました。
その競争に破れた者は、不安定で低賃金であっても国家によって特別な福祉の恩恵に預かる資格がなくても問題化されませんでした。こうした自己責任が完徹された社会です。
ちなみに職務給であれば、企業規模などによって賃金に差はでません。また、低賃金の職務で働く労働者には、生活扶助が当然支払われます。
私たちが構想する「style3」、単に職務給(シゴトに基づく賃金)を実現するだけではなく、権利として職業訓練を受ける社会を提起しています。 また、転職や失業に伴う貧困については、雇用保険と生活保護制度の充実を合わせて提起しています。結果としてどのような職種に就くか、 どれだけの職業訓練を受けるかによってもちろん賃金に差は出てくるでしょう。 しかし、それは恣意的・差別的な賃金制度に基づく格差を個人の努力の問題に還元する「自己責任」とは決定的に異なります。どのような職種に就こうと、 ある程度の生活保障を生活保護によって維持することは当然ですし、技能を身につけることは権利として認められるべきなのです。 この点について、いわゆる「自己責任論」を体現する「再チャレンジ政策」では、職業訓練を権利として認めてはおらず、福祉の給付を行うための選別の道具になりかねません。 つまり、「努力しなければ貧困が生じてもしょうがない」と差別されるわけです。 そして「チャレンジ」の結果、低賃金・不安定な状況に置かれたとしてもそれは「自己責任」ということになってしまうのではないでしょうか。 フリーランスや個人事業主化を推奨しているのですか?
いいえ、していません。むしろこうした問いが立てられる背景そのものが問題です。
シゴトを基準に賃金を決定し会社に一生を捧げなくてもよい社会を目指すということと、起業すべきだということはイコールではありません。
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私たちはあくまで「雇用」の枠組みを、現在の日本の特殊な状況を出発点にして、より民主的なものに変えていこうと考えているのです。 |